諸先輩方からすれば、僕なんてまだ通算3回しかシックスデイズに通っていなくて、ひよっこ。2004、2006、2013年と見てきたんだけど、その3つすべてが感慨深かった。
世界最大のエンデューロ・カーニバル
1913年から脈々と続くISDE。その意義と、歴史を紐解くことは重要だが、ここでは触れず、現在のISDEを考えてみたい。
勘違いされることが多いけれど、ISDEは世界のエンデューロの頂点に立つ大会ではない。あくまで、国別対抗戦。モトクロスでいえば、ネイションズに当たる。面白いのは、国別対抗から拡がって世界で最もオンタイムエンデューロに対してエントラントを集めるアニュアルイベントであるところ。歴史に紐解きたいところだが、間違いなくISDEの起源に触れることになりそうなのでよしておこう。
つまり、その実態はアマチュアを世界各国から集めるモンスターオンタイムエンデューロだと僕は思っている。オンタイムエンデューロはご存じの通り、開催にかかる手間が途方も無く、おおよそビジネスモデルに乗るようなものではない。大勢の熱意と、それをまとめる頭があって、はじめて実現されるものだ。600名からのライダーを満足させるルートと、開催規模…。「日高」を知る日本のエンデューロフリークからすれば、そのモンスターぶりがわかるはず。
シックスデイズの中心にあるのはトップコンテンダーではなくアマチュアライダーの有象無象だと僕は思う。そこに、今後の急速な変遷が予想される。
2013年に思ったこと
ワールドトロフィーチームの輩出を休止してから久しく、2013年に太田一家の取材をするために僕は3度目のISDEへ訪れた。イタリアのサルディニア島は美しく、食文化にあふれた土地だった。
いくつかの媒体にも書いたのだけれど、その時もっとも感じたのは、2004年・2006年に見たISDEとはまるで別物だということだ。2013年は、ハスクバーナがまだKTMの傘下ではなく、KTMはKTMブランドとフサベルブランドでサービスを展開していたのだけれど、そのパーフェクトなパッケージにおののいた。ライダーはウエアだけ用意して飛行機に乗れば良い。あとは、マシンから工具、その他一切がKTMのテントに用意されていて、いつ何人が帰ってきてもいいように数十のブースが待ち構えている。とてもスマートなのだ。
対して、そうではない(つまりは、そのほとんどがKTMではない)チームは、昔ながらの体制で、多額の資金をかけてコンテナを持ち込み、それをベースとしてパドックを展開していたりもする。格差か。いや、そうではないんだよな、KTMのパッケージを手持ちでやろうとしたら、もっとコストがかかってしまうわけで、低コストで確実、さらにいえば、だからこそイコールコンディションを大事にするISDEのアマチュアイズムともマッチしてしまう。
頑固爺のようなISDEが好きだった僕も、理にかなった進化を遂げているのだと、納得した。
第三の波の中で
1980年に提唱された、第三の波の影響は今になって各分野を強烈な速度でどこかへ連れて行こうとしている。僕は、これを引き起こしたのは個人端末のスマート化だと思っていて、言うなればスマートフォンだ。個人が、電子的なネットワークでつながるためには、その接点が必要だったが、スマートフォン以前は接点を持ち歩くことができなかった。人間の活動に必要不可欠な「位置」の概念がネットワークから外れていた。
個人個人がネットワークで結ばれることの意義が、今何を引き起こしているのかは、語るべくもない。
ISDEは、アマチュアの集まる巨大なユニットであって、それがネットワーク化されつつある。KTMがもたらしたものは、スマートな参戦形態とイコールコンディション、それにISDEへの敷居の低さだ。さらに、その先の変容は、もしかするとフランスで垣間見えるのかもしれない。
文/稲垣正倫