ISDEとは? (インターナショナルシックスデイズエンデューロ)

6日間の日程で行なわれる世界最大のエンデューロイベント。同じFIMのエンデューロGP(2日間大会)が個人選手権であるのに対して、ISDEは基本的に国代表チームの団体戦である。モトクロスオブネイションズ、トライアルデナシオンと同様の位置づけと考えてもいい。

その歴史

ISDEの第1回大会は1913年にイギリスで開催。二度の世界大戦による中断を除き、毎年各国の持ち回りで開催されてきた、世界でも類を見ない歴史の深いレースだ。かつてISDEはインターナショナルシックスデイズトライアル(ISDT)と呼ばれ、現在のトライアル競技との混同を避けるため1980年から現在の名称に変更されている。

国代表チーム対抗戦

ISDEは、基本的に国代表チームによって競われるワールドトロフィ争奪戦。ワールドトロフィチームは4名で、ジュニアトロフィチームは、3名の23才以下のライダーで構成。2006年のニュージ―ランド大会からは女性3名によるウイメンズワールドトロフィチームも発足。そのほか3名で構成されるクラブチーム、マニュファクチャラーチームが参加できる。ワールドトロフィチームは毎年30~40ヶ国が参加しており、日本からのワールドトロフィチーム参加は2006年のニュージーランド大会が歴史上初。今年は7年の休止を経ており第2期と言える。

競技システム

日本で知られているオンタイム制エンデューロは、現在ISDEをベースとしたものだ。チェックポイントを指定された時間通りに走ることを基本とし、2~5kmのスペシャルテスト(SS)でタイムを競う。コースの距離は1周150km×1日2周、スペシャルテストは1日10本程度。6日間で1000km以上を走る。またパルクフェルメ(車両保管)システムといって、走行時間以外は、選手もマシンに触ることができないキマリだ。朝のスタート前10分、ゴール前の15分だけが整備の時間として割り当てられ、選手本人だけがマシンに触ることを許されている。ライディングだけではなく、短時間で的確に整備・修理する技術を競うことが目的だ。

日本の愛好家とISDEの関り

日本人として始めてISDEに参加したのは西山俊樹氏。1971年イギリス大会以来、10回に渡って個人参加。その後1994年のアメリカ大会に畑由孝氏を代表とするクラブチームが参加。その後の毎年、日本人選手によるチーム参加が継続されてきた。
2002年チェコ大会では、中嶋宏明氏を代表とする日本のチームが「敢闘賞」に相当するワトリングトロフィを授賞。また、2008年にも日本のワールドトロフィーチームがワトリングトロフィーを受賞している。これは1962年にFIMが制定したもので、授賞国の持ちまわりとなる栄誉ある賞である。

原文:春木久史、編集:稲垣正倫