中途半端だったら
行かないでほしい
「ISDEは中途半端な走りでいけるものじゃない、本当に真剣になって戦っている国が出てきている。3人には全力を尽くし、できる限りの走りをしてもらいたい。中途半端だったら行かないでください。お願いします。
自分はゴールドメダル目指していきます。実際、僕が100%パーフェクトに走ってもゴールドが獲れるか取れないかっていう世界です」
鈴木は、過去2回の悔しい思いを滲ませる。2006年、日本初のワールドトロフィーチームを出したニュージーランドでは、WR250Fを駆って参戦。しかし、途中負傷によってリタイアを喫した。
「ゴールドが狙えるはずだったチリでも、自分の走りができないまま終わってしまった」
ニュージーランドの翌年チリでの戦いは、発表されたばかりのWR250R、公道車でのチャレンジだった。鈴木本人は、当時WR250Rで戦うメリットも見いだし、日本代表として戦えるまで自己とのフィッティングを高めていったが、ゴールドには届かなかった。
ISDEで、戦ってきた鈴木が語るのは、そのレベルの高さ。「僕らが本気でリエゾンで走っても、トップライダーにはついていけないくらい、レベルが高い。セルバンテスと走ったときかな、すごく良い経験をしました」と。自らが目指す位置と、世界の壁。アスリートとして、その難しさを痛感しているからこその、冒頭の言葉である。
45歳、残された時間は少ない
全日本モトクロスや、MTBの活動から、エンデューロへ転向してすでに10年以上が経過している。エンデューロには、40歳以上でも世界レベルで活躍するライダーも多いが、ことオンタイムに関して言えば一発の速さを勝負することもあって、たとえばエンデューロGPライダーを高年齢まで現役であり続けることは難しい。 「本当にこの年齢になってISDE行かせてもらうのは申し訳ないなと思っています。それもあって、自分1人だけでも絶対にゴールドとるっていう気持ちでいます」と鈴木は決意する。 「他の3人には、いろんなことを経験して、これからの日本のエンデューロ界を支えて行ってもらいたい。前橋くんは初めてなのでわからないことだらけだと思うけど、いろんな事を体験してきて欲しいと思っています。 滑川くんは凄いペースで成長しているので、これからを支えていく上で重要な人物になると思う。1つ1つ頑張って欲しいと思います。 内山くんはISDEの経験が豊富なので、助っ人としても役立ってもらえると思うし、ライダーとしてもコンスタントないい走りをしてくれるので、怪我しないように頑張って欲しい」 個人としての強い意思、日本チームとしての強い闘志が漲る。今年の鈴木健二は全身でISDEにぶち当たる。
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ぼちぼち良い方向に進んでいます
今年の1月に右膝の手術をし、治療中の身でありながらトロフィーチームへの参加を決意した前橋だったが、現在の回復状況が気になるところだ。本調子でないものの、6/18に開催された全日本エンデューロ選手権ROUND 2(富山)を目標どおり走り切った。 「怪我の原因は、今年の1月、ジャンプの着地ではねられて、右膝が抑えるときにギクって。リハビリをしながら順調に回復しています。よっぽどひどい衝撃が加わるような走り、ステアやジャンプのすごい衝撃が加わるようなことがなければ今のところは問題はなく走れています。順調にいけばISDEまでに健常な状態に戻るはずです。 あとは痛めない、悪化させない。医師からは、術後半年からレース復帰と言われてるので、ギリギリです。今の状態でもなかなかのペースでは走れていると思います。スピードがあまり出せないところですけど、今までと同じくらいのペースで走れていると思います。 今やっている練習は、衝撃が加わるのが怖いので、タイトターンが続くようなシングルトラックのようなところを走ったり、オーバル、足をつかない程度に8の字。トライアルっぽいようなラインをちゃんとトレースしていくような練習もしています。今までみたいにどんどん追い込むのはまだ怖いんですけど、内容的には似たようなことをしています。今まではもっとモトクロスコースを走っていました。手術前はMXフィールドトヨタやいなべなど、モトクロスコースが多かったですね。速いモトクロスライダーを追いかけてることが多かったです。中島さんにライディングコーチして頂いたり、釘村さん、肥後さんにも気になったことは聞いたり。基礎練みたいなことは、その頃から欠かさずやっています」ISDE出場の決め手
「第一の決め手は仕事の都合ですね。休みが取れた。上司の理解と後押しがあったからです。仕事は金属加工業で働いています。ヤマハだけでなく、他のメーカーも扱っている会社です。休みは有給では補えないですね。手術で消化している部分もあるので。ダメ元で聞いたら「しょうがない、いいよ」って言ってくれてビックリしました。 それから金銭面のサポートが受けられたのも決め手の一つです。中西さん、と言うかJECプロモーションからサポートをして頂きました。現地での不安はありますが、フランスへは長年お世話になってきた中嶋さんも一緒に行ってくれるので、心配はあまりないのかな」 日本人はとにかく休暇を取ることが難しい。特に6日間戦わなくてはならないISDEでは、最低でも2週間程の休みを取らなくてはならず、過去に出場したライダーで「仕事を辞めて来ました」という話は珍しくないのだ。マシンのチョイス
現在彼が出場を予定しているマシンはKTM 250EXC-F。なぜ4ストロークの選択なのか? 「2stで出る選択肢もないことはないけど、今まで乗ってきたのがYZ250Fなので、4st250で出る予定です。YZ250Fはモトクロッサーだったんですけど、マイルドな方向にしていたので、軽いYZ250FXみたいな雰囲気でした。足もふわふわにしてましたね。あんまりガツガツしていると、ウッズなどでバーン! と足を取られたり、ガンガン突き上げられたりするから嫌なんです。モトクロスのビッグジャンプ以外は良かったですけどね。 柔らかい方がガレ場とかでも走りやすい。自分はすぐに腕上がってしまうので、アクセルがラフになりがちなんです。だからフッ!っと開いてしまっても大丈夫なようなマシンにしようと思っています」とのこと。現在は、KTMに慣れるために250EXC(2ストローク)で練習、レース参戦をしている。 「2スト250のパワーが扱いきれていないっていうのもありますね。あけちゃうと4スト250に比べてパワーが出ちゃうじゃないですか。そのくらいの走りができたら、と思うんですけど、それくらい開けちゃうとおさえきれない。 KTMは非常に乗りやすいです。ただ、今までリンク付きに乗っていたので、リンクレスのサスで、どうやったら気持ちよく走れるのかが、まだわかっていない。それでセッティングに悩んだりしてます。慣れきれてないってくらいで、他は特には問題ないです。最初から気持ちよく乗れました」 自身の身体、新しいマシンと日々向き合いながらも、遠くを見据えている目線の先に次回も触れていきたい。 (続く)
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先制パンチ。まるでデザートレース 本当にここでISDEをやるのか?
「まるっきりバハカリフォルニアだなぁ!」。 チリの首都、サンチャゴから北へ500km、日本からチリへの直行便はなく、アメリカで一度飛行機を乗り継ぎ、丸々24時間以上をかけて到着したラ・セレナは砂漠の街だった。年間を通じてほとんど雨が降らない荒野。砂と岩、そして地平線の彼方まで林立する大きなサボテン。ほぼ同じ時期、おそらくはそろそろスタートの日も近い、あのBAJA1000の舞台になっているカリフォルニア半島にそっくりの景色じゃないか。 イギリスに発祥し、ヨーロッパで100年の歴史を刻んできた6日間エンデューロのイメージは、どちらかといえば、森の中のトレイルだ。昼、なお暗い森。小糠雨に濡れて滑りやすいマディと木の根の小道を坦々と走る。そして牧草地などのグラストラックがスペシャルテストに使われることが多い。もちろん、そんなふうに絵に描いたような伝統的な姿ばかりがシックスデイズではないのだが、それでもこの砂漠の風景はどうだ。「砂だとは聞いていたけれど、まさかこんな砂漠だとは…」 日本チームの6名、全員が面食らってしまった。先制パンチだ。もっとも、2003年のブラジル大会で砂丘のコースを経験している小菅浩司は、かろうじてそのパンチをかわしたかもしれない。パリダカ、北アフリカ、そしてモンゴルのラリーで砂漠の風景を見慣れている博田巌は、なんだか懐かしくなってしまったが、まさかこれがエンデューロのコースだとは思えなかった。 スペシャルテストは、これまでのシックスデイズでは見たことも無いような、全部がエクストリームテストじゃないか、と言いたくなるようなタフなものだった。スペシャルテストは全部で7ヵ所が用意された。1本が5〜6km、毎日のコースによって使い分け、1日5〜7本走る。ISDEは、リエゾンを制限時間内に走りつつ、そのスペシャルテストの合計タイムを競うシステムだ。1日の走行距離は250〜300kmにもなる耐久競技なのだが、しかしスペシャルテストでの走りは完全なスプリントのペース。1本につき数分のタイムアタックは、おそらくモトクロス世界選手権のペースよりも早いだろう。タフなリエゾンのルート走行と、ハードなタイムアタックの繰り返し。これをミス無く正確に6日間に渡ってこなさなければならない。 スペシャルテストでは、いかにコースを憶えるかも成績に直結する。日本チームのメンバーも、すべてのスペシャルテストを下見し、できるだけタイム短縮につなげる。だが、この深い砂と、大きな岩の路面は、どうだ。今まで聞いたことがないような6日間になりそうだった。挫折のニュージーランドから1年 雪辱をかけた戦いを前にして
眼の前に拡がった砂漠のコースに、もっとも緊張したのは鈴木健二だった。エンデューロのデナシオンともいえるこの国別チーム対抗戦に、日本チームが初めて参戦した前回=2006年のニュージーランド大会に、やはり初の代表メンバーとして参加。MFJエンデューロの初代チャンピオンとして、そして抜群のスピードとクールなアクションライディングを持って日本のエンデューロシーンに光りを当てる存在として、ISDEでの活躍も大いに期待されていたが、2日目にリタイアという結果に終わっていた。ISDEにおける一流ライダーの証であるゴールドメダル(トップの成績から10%までのライダーに与えられる賞)への期待。さまざまなものを背負ってのチャレンジに敗れた昨年。 雪辱のかかった2度目のISDE。 マシンはヤマハの新型車、しかしトレールバイクと呼ばれるジャンルのWR250Rだ。「鈴木健二は、いったいなんというバイクを選んだのか」。KTMやHusqvarnaといったISDEで生まれ育ったような純エンデューロコンペティションマシンを相手に、そんなストリートバイクが通用するのか。ゴールドメダルはどうする。チームを引っ張る存在であるべきエースライダーが、それでいいタイムを出せるのか。最も過酷な"地獄の6日間耐久テスト"で、マシンを壊してしまうんじゃないか。またリタイアに終わるんじゃないか…。 もちろん一定の勝算があった。市販直前のWR250Rは、すでに完成車となっているのはもちろん、ISDEを想定した走行テストを繰り返し、スペシャルテストのシミュレーションでは、同社のWR250Fとの比較で1秒落ちのタイムにまで接近した。抜群の耐久性、ルート全体でのドライバビリティとの差し引きで同等と判断できるまでになった。いや判断した。 しかし、眼の前に広がっているのは、見たことも無いような深いサンドのスペシャルテスト、それに「ありえない」としか思えない、人の頭ほどもある岩がびっしりと敷き詰められた、河原のような場所でのスペシャルテスト。「天竜川なんてもんじゃない!」。 土や泥のようなシチュエーションならまだしも、スティッフィな足回りが求められるうえ、パワー差がモロに出てくるサンド路面、それに究極的な衝撃吸収が必要な岩の路面。こんなにコンペティションマシンと、いわゆる「市販トレールバイク」の差が歴然と出るコースはないだろう。 だが、ここまで来た以上、ほかに考えることはない。このマシンを信頼し6日間を乗り切るだけだ。なによりも、日本のエンデューロライダーを代表する6人のうちの一人として、納得できるリザルトを残さなければならない。やるしかない。 長い6日間が始まった。 第82回 FIMインターナショナルシックスデイズエンデューロ チリ大会 2007年11月12〜17日 文・春木久史 写真・亀畑清隆
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「何にも世界のことを知らない。」
「もともとKX85でJNCCに出てて、高校生からイタリアンハスクに3年間くらい走っていました。イタリアンハスクの最後の年に、IBで走っていたんですが、IAと比較してもまずまずのタイムで走れていた時もあったので、そのくらいからISDEを意識していました。日本初のジュニアワールドトロフィーで出られたらいいなと。 日本にも若いライダーはいるんですが、ISDEの舞台で戦えるかと言われたらYESとは言えない。結局記念参戦になってしまうと思います。自分は少しはやれるかなっていう自信はあるけど、一回も世界の大会で走ったことがないので、出てみないとなんとも言えない」と前橋は若さ故の不安を綴る。ISDEは、以前から夢見ていた晴れ舞台だった。しかし、いざ現実の物となると、期待だけが募るわけではなさそうだ。 「何にも世界のことを知らないんですよね。 非常に複雑というか、心配、不安が大きいですね。楽しみもしっかりあるんですけど、バイク乗り換えたこともありますし、バイクが良いのはわかってるので、自分がちゃんと乗れるか、あと膝。体全体をレースまでに今まで通りに完全に戻せているか。 最初はそれが不安で参加を悩んでいました。大丈夫かなって思って「いきます!」って言っちゃったけど、病院のベッドで考えているうちに一回思い直して断ったんです。退院したあとにもう一回お話をいただき、考え直して「なんとかなるんじゃないか」って思って参加を決めました。フランスに行ってみたい気持ちもあるし、エンデューロの本場なので」 無理をすることなく、等身大でエンデューロを追っているのが、前橋なのだ。 (続く)
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世界最大のエンデューロ・カーニバル
1913年から脈々と続くISDE。その意義と、歴史を紐解くことは重要だが、ここでは触れず、現在のISDEを考えてみたい。 勘違いされることが多いけれど、ISDEは世界のエンデューロの頂点に立つ大会ではない。あくまで、国別対抗戦。モトクロスでいえば、ネイションズに当たる。面白いのは、国別対抗から拡がって世界で最もオンタイムエンデューロに対してエントラントを集めるアニュアルイベントであるところ。歴史に紐解きたいところだが、間違いなくISDEの起源に触れることになりそうなのでよしておこう。 つまり、その実態はアマチュアを世界各国から集めるモンスターオンタイムエンデューロだと僕は思っている。オンタイムエンデューロはご存じの通り、開催にかかる手間が途方も無く、おおよそビジネスモデルに乗るようなものではない。大勢の熱意と、それをまとめる頭があって、はじめて実現されるものだ。600名からのライダーを満足させるルートと、開催規模…。「日高」を知る日本のエンデューロフリークからすれば、そのモンスターぶりがわかるはず。 シックスデイズの中心にあるのはトップコンテンダーではなくアマチュアライダーの有象無象だと僕は思う。そこに、今後の急速な変遷が予想される。2013年に思ったこと
ワールドトロフィーチームの輩出を休止してから久しく、2013年に太田一家の取材をするために僕は3度目のISDEへ訪れた。イタリアのサルディニア島は美しく、食文化にあふれた土地だった。 いくつかの媒体にも書いたのだけれど、その時もっとも感じたのは、2004年・2006年に見たISDEとはまるで別物だということだ。2013年は、ハスクバーナがまだKTMの傘下ではなく、KTMはKTMブランドとフサベルブランドでサービスを展開していたのだけれど、そのパーフェクトなパッケージにおののいた。ライダーはウエアだけ用意して飛行機に乗れば良い。あとは、マシンから工具、その他一切がKTMのテントに用意されていて、いつ何人が帰ってきてもいいように数十のブースが待ち構えている。とてもスマートなのだ。 対して、そうではない(つまりは、そのほとんどがKTMではない)チームは、昔ながらの体制で、多額の資金をかけてコンテナを持ち込み、それをベースとしてパドックを展開していたりもする。格差か。いや、そうではないんだよな、KTMのパッケージを手持ちでやろうとしたら、もっとコストがかかってしまうわけで、低コストで確実、さらにいえば、だからこそイコールコンディションを大事にするISDEのアマチュアイズムともマッチしてしまう。 頑固爺のようなISDEが好きだった僕も、理にかなった進化を遂げているのだと、納得した。第三の波の中で
1980年に提唱された、第三の波の影響は今になって各分野を強烈な速度でどこかへ連れて行こうとしている。僕は、これを引き起こしたのは個人端末のスマート化だと思っていて、言うなればスマートフォンだ。個人が、電子的なネットワークでつながるためには、その接点が必要だったが、スマートフォン以前は接点を持ち歩くことができなかった。人間の活動に必要不可欠な「位置」の概念がネットワークから外れていた。 個人個人がネットワークで結ばれることの意義が、今何を引き起こしているのかは、語るべくもない。 ISDEは、アマチュアの集まる巨大なユニットであって、それがネットワーク化されつつある。KTMがもたらしたものは、スマートな参戦形態とイコールコンディション、それにISDEへの敷居の低さだ。さらに、その先の変容は、もしかするとフランスで垣間見えるのかもしれない。 文/稲垣正倫
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