現在、40歳。内山裕太郎より年上で、鈴木健二についで2番目のベテランである滑川。
「バイク遍歴はずっとエンデューロですね。モトクロスもトライアルもロードも経験はないですね。19歳の時に中型免許とって事故してしまったんですが、その時SUZUKIのバイク屋さんに「土の上から始めろー」って言われてエンデューロに出るようになりました。ジャジャカップってSUZUKIでやってたレースに出たり、デニコールカップに出てみたり」と滑川。もう、人生の半分以上をバイクに費やしていることになる。
「たまたま今年はゼッケン6(昨年のランキングがゼッケンになる)もらったんですけど、シングルに入れるようになったのはここ数年ですね。僕は2014年にアルゼンチンのISDEに参戦しているのですが、アルゼンチンから帰ってきて一年間は燃え尽き症候群になってしまってレースには出なかったんです。アルゼンチン行って世界との差がすごいって思って。走りがもう全然違う。みんなに伝えないとなって強く感じました。
ISDEにいきたいーって30歳くらいからずっと思ってて、7年越しにようやく2014年に実ったんです。2006年のISDEニュージーランドで日本が参戦したときは、まだそんな上手でもないですし、仕事と家庭とバランスを見ながら水面下で思いに馳せていました。子供は上が娘が9歳、下はISDEアルゼンチンの時に生まれたISDEベイビーで2歳半の男の子」
エンデューロに打ち込むライダーのほとんどは、ごく普通に生活を営む社会人だ。これは日本でも海外でもほとんど同じで、金銭面と時間がなかなかとれずにスキルを上げられないジレンマに陥る。滑川は、そのジレンマに悩み続け、いよいよもって転職に踏み切った。
「仕事はトヨタのディーラーに18年くらいいたんですけど、今は自営になりました。重機の修理とか、してます。37歳でアルゼンチン行ってから退職して、バイクにもっと乗りたいと思って自営になったんです。二度目のISDEも視野に入れていました。4年後にその時のメンバーみんなで行こうねって言ってて。僕には同級生のメカニックがいるんですけど、二人で夢を追いかけながら、いつでもいける準備はしていました。お金面でも。ワールドトロフィーに選ばれたのは、たまたま。いつかは鈴木健二さんが行く時にクラブチームで一緒に行って応援したいなって思ってたんですけど、まさか自分がワールドトロフィーチームでいけるなんて思ってもいなかった」
(続く)
トップライダーの方々がどのように
生活とのバランスをとりながらエン
デューロを続けているのかは非常に
興味と共感が持てるところです。
プロとして成立出来ないところは残
念でもありますが、我々一般のライ
ダーと同じ地平で頑張っている姿を
見ると応援に力が入ります!