日本のエンデューロシーンにコミットしてきたファンやライダーにとって、前橋孝洋はいま最も注目すべきライダーだ。エンデューロシーンに珍しい若手であること、そしてエンデューロで育ってきたこと。85ccのジュニアバイクを乗る姿から見てきた者からすれば、日本代表に入ったことは感涙もの。
このたび、前橋はレースをはじめた頃からの長いつきあいをもつショップ、オープンエリアがKTMの取り扱いを再開することを機に、KTMへスイッチした。オープンエリアの中嶋氏も「準備の段階から、KTM以外の車両でISDEに出ようと思うと、それなりのたくさんの人たちに協力してもらわないと難しい。車両運ぶにしても機材持っていくにしても、費用がかかります。体一つで行って向こうでレースして、あわよくばいい結果を出してこようと思った時にKTMのサービスならば余計なこともしなくていいし、走りに集中できる。
タカ(前橋)はまだISDE体験してないから、なるべく若い選手に早い時期に行ってもらうのが、今後の日本のエンデューロ界のためになるから、いい機会だし、実現してあげたいなと。
なるだけ早い時期に行っておいた方が絶対いい。今後の目標もできるし。いいことばっかりじゃないだろうし大変だろうけど。
僕が出たのは2001年のフランスが最後。サポートはチリじゃなかったかな。だいぶ空きましたね。当時からKTMはやっぱりパドックの中でも一番でかい部分を占めてましたね。僕らはKTMのサポートで参加しましたけど、やっぱりすごいサポートだなって思いましたよ」と言う。
「何にも世界のことを知らない。」
「もともとKX85でJNCCに出てて、高校生からイタリアンハスクに3年間くらい走っていました。イタリアンハスクの最後の年に、IBで走っていたんですが、IAと比較してもまずまずのタイムで走れていた時もあったので、そのくらいからISDEを意識していました。日本初のジュニアワールドトロフィーで出られたらいいなと。
日本にも若いライダーはいるんですが、ISDEの舞台で戦えるかと言われたらYESとは言えない。結局記念参戦になってしまうと思います。自分は少しはやれるかなっていう自信はあるけど、一回も世界の大会で走ったことがないので、出てみないとなんとも言えない」と前橋は若さ故の不安を綴る。ISDEは、以前から夢見ていた晴れ舞台だった。しかし、いざ現実の物となると、期待だけが募るわけではなさそうだ。
「何にも世界のことを知らないんですよね。
非常に複雑というか、心配、不安が大きいですね。楽しみもしっかりあるんですけど、バイク乗り換えたこともありますし、バイクが良いのはわかってるので、自分がちゃんと乗れるか、あと膝。体全体をレースまでに今まで通りに完全に戻せているか。
最初はそれが不安で参加を悩んでいました。大丈夫かなって思って「いきます!」って言っちゃったけど、病院のベッドで考えているうちに一回思い直して断ったんです。退院したあとにもう一回お話をいただき、考え直して「なんとかなるんじゃないか」って思って参加を決めました。フランスに行ってみたい気持ちもあるし、エンデューロの本場なので」
無理をすることなく、等身大でエンデューロを追っているのが、前橋なのだ。
(続く)
I will be there to take photographs of all riders. I will meet you at the paddock!